南北朝時代の公卿である。藤原北家真夏流日野家の次男として生まれ、「裏松」を家号に選び活動した。永和4年/天授4年(1378年)に参議となり、その後も様々な役職を経て昇進を続けた。特に、妹や娘たちが室町幕府の将軍家に嫁いだことが、彼の急速な昇進を後押しした。最終的には従一位・権大納言に至るも、明徳元年/元中7年(1390年)に病に倒れ、8月に亡くなった。彼の死後、裏松家は一時断絶するが、後に玄孫が日野家を継承し、裏松家の人々も「日野」と呼ばれるようになる。
主な祖先
日野資康の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















