平安時代中期から後期にかけての女性。承香殿女御または堀河女御と称される。治暦2年(1066年)、東宮・尊仁親王(後の後三条天皇)に入内する。治暦4年(1068年)、後三条天皇が即位すると大嘗会の女御代を務め、延久元年(1069年)には女御宣下を受けたが、皇子女はなかった。延久3年(1071年)には新造内裏の承香殿に移る。延久5年(1073年)、天皇の崩御に伴い出家し、堀河院に移った。父・頼宗は当初、後冷泉天皇の後宮に入れようとしていたが、頼通の娘・寛子の入内により断念し、のちに後三条天皇への入内となった。
主な祖先
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主な子孫











