能登畠山氏の第3代当主。<br>
応仁の乱では畠山義就を支持して山名宗全が総大将である西軍に与し、細川勝元や畠山政長の東軍と戦った。応仁の乱が終わると能登に帰国し、以後は在国大名として守護大名としての権力再編・強化に務めた。延徳2年(1490年)に能登門徒による義統暗殺計画が発覚し、義統は越後守護代・長尾能景と連合して越中・加賀の一向一揆と開戦する。だが、一揆側は畠山一族の勢力削減を図る管領細川政元の支援を受けており決着はつかなかった。<br>
義統は文化人でもあり、応仁の乱で荒廃した京都から多くの文化人が能登に下向してきたため大いに繁栄した。











