因幡国の戦国大名であった山名豊数は、永禄4年(1561年)に従兄弟である山名棟豊の死去に伴い家督を継いだ。しかし、因幡国内は但馬山名氏の支配からの自立を目指す国人勢力が存在し、家中の掌握は困難であった。永禄6年(1563年)、重臣の武田高信が新守護として山名豊弘を擁立し反乱を起こす。豊数は鳥取城を攻撃するが敗退し、布勢天神山城から撤退し鹿野城に移る。援軍を得ても劣勢は続き、永禄7年(1564年)には鹿野城まで攻め込まれる。その後、史料には登場せず、永禄8年(1565年)には後継者とされる山名豊儀が記録されているため、豊数は死去または隠居したと考えられる。











