安土桃山時代から江戸時代にかけての公卿である。徳大寺公維の外孫として、公維の養子となり徳大寺家を継承。天正14年(1586年)に従五位上に叙爵され、翌年侍従、天正17年(1589年)に元服。慶長3年(1598年)に右近衛少将、慶長5年(1600年)に従四位上に昇進。慶長14年(1609年)には姦淫放蕩のため勅勘を被るが、2年後に許され朝廷に復帰。慶長18年(1613年)に従三位に叙せられ公卿となり、翌年には権中納言に任じられる。元和元年(1615年)に踏歌節会外弁を務めたが、元和2年に34歳で薨去。
主な祖先
徳大寺実久の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















