平安時代前期から中期に活躍した皇族で、醍醐天皇の第11皇子。最初は臣籍降下して源 兼明となり、左大臣にまで昇進したため「御子左大臣」と呼ばれた。安和の変では兄の源高明が失脚する中、連座を免れた。円融朝では左大臣となるが、藤原兼通・兼家兄弟の政争に巻き込まれ、貞元2年(977年)に再び皇籍に復帰し中務卿に転じた。晩年は嵯峨に隠棲し、詩文を残したことで知られ、『本朝文粋』に漢詩「菟裘賦」が収録される。博学多才で、藤原佐理・藤原行成と共に三蹟の一人に数えられることもある。享年74で薨去した。
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兼明親王の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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