系譜で辿る日本史

選択中の人物

内藤忠次ないとうただつぐ

内藤忠次

志摩国鳥羽藩の世嗣

氏族三河内藤氏
生没1645年 - 1704年
位階従五位下
官職 志摩守
幕府職

江戸時代前期の志摩国鳥羽藩の世嗣である。明暦2年(1656年)に徳川家綱に御目見し、万治2年(1659年)に従五位下・志摩守に叙任される。鳥羽藩嫡子として期待されるが、寛文11年(1671年)に病気のため廃嫡される。代わりに弟・忠勝が嫡子となるが、延宝8年(1680年)に事件を起こし、内藤家は断絶した。忠次はその後、宝永元年(1704年)に60歳で死去する。

更新
主な祖先

北条泰時

17親等祖先

源義国

19親等祖先

安達盛長

18親等祖先

伊東祐親

16親等祖先

北条時政

15親等祖先

足利義兼

17親等祖先

三浦義明

20親等祖先

高師直

11親等祖先

北条時氏

16親等祖先

松下禅尼

16親等祖先

内藤忠次の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史

主な子孫