室町時代中期の武将である斯波義淳は、室町幕府の9代と13代の管領を務め、越前・尾張・遠江の守護を担当した。応永4年(1397年)に生まれ、11歳で元服し、将軍義持の偏諱を受けて義淳と名乗った。13歳で管領に就任したが、実権は祖父の義将が握っていた。応永25年(1418年)に父が死去すると、越前・尾張・遠江の守護を継承した。義淳は管領として2度目の就任を命じられたが、固辞し続けた。最終的には義教や満済の説得により就任したが、すぐに辞意を表明し、義教との不安定な関係が続いた。永享4年(1432年)に辞職が認められ、翌年には病に倒れ、12月に死去した。享年37。法名は心照寺殿道忠淑良。











