戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、大名。武蔵原市藩の藩主であり、横須賀藩西尾家の初代となる。天正8年(1580年)に織田信長の検使として記録が残る。天正10年(1582年)には徳川家康の饗応役を務め、本能寺の変の際には家康を護衛して伊賀越えを成功させた。この功績により家康の家臣となる。天正18年(1590年)、家康の関東移封に伴い武蔵国足立郡原市に5000石の所領を与えられ、さらに慶長4年(1599年)には従五位下・隠岐守に叙任された。関ヶ原の戦いで功績を挙げ、1602年には美濃国内で7000石を加増され、原市藩を立藩した。慶長11年(1606年)伏見で77歳で死去。菩提寺である妙厳寺には信長から拝領した品があり、埼玉県指定有形文化財に指定されている。











