飛鳥時代の豪族である阿倍内麻呂は、推古天皇32年(624年)に大臣・蘇我馬子の要求を天皇に上奏する役割を果たした。推古天皇の崩御後、皇位継承を巡る議論では蘇我蝦夷と協議を行い、群臣を集めた場で意見を表明した。乙巳の変後、大化元年(645年)に孝徳天皇が即位すると左大臣に任じられ、新政権の重鎮となった。娘の小足媛を孝徳天皇の妃として有間皇子をもうけるなど、政権の中枢に位置した。大化5年(649年)に死去し、孝徳天皇や皇極上皇らが哀悼した。
主な祖先
阿倍内麻呂の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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