幕末期の公卿である徳大寺公純は、権大納言から内大臣、右大臣を歴任した。通商条約勅許問題で反対の立場を取ったため、安政の大獄で逮捕され謹慎を命じられるが、後に罪を許される。公武合体運動を推進する一方で、和宮の徳川家茂への降嫁には反対し、幕府の圧力で失脚。後に復帰し執政となる。攘夷派公家として京都に留まり、西洋化に対しては反対姿勢を貫いたが、息子・西園寺公望のフランス留学には尽力した。明治16年(1883年)に63歳で薨去。墓所は京都市の金戒光明寺にある。
主な祖先
徳大寺公純の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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