江戸時代前期から中期にかけて活動した大名で、豊前国小倉藩の第2代藩主となる。初名を長真とし、異母兄の早世により世子に指名される。寛文7年(1667年)に父の死去を受けて藩主となり、藩政においては弟に1万石を分与して小倉新田藩を立藩。減税政策や藩体制の整備、密貿易の取り締まりを実施した。飢饉や財政難に見舞われる中で、重税を課したとされるが、幕府からは譜代大名の鏡と称賛される。晩年には嫡男と二元政治を行い、享保10年(1725年)に79歳で死去した。
主な祖先
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