江戸屋敷で生まれた後、元禄4年(1691年)に清貞と名乗る。元禄9年(1696年)から父と共に二元政治を行い、従五位下、織部正に叙任される。元禄10年(1697年)、遠江守に転任し、その翌年に清遥と改名。享保10年(1725年)に父の死去に伴い藩主となる。享保の大飢饉での治安回復に努めるが、部落差別的な法令も施行する。寛保元年(1741年)には忠基と改名し、宝暦2年(1752年)に71歳で死去。嫡男が早世していたため、六男の忠総が跡を継ぐ。
主な祖先
小笠原忠基の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫















