室町時代の因幡守護、山名豊重は、文明18年(1486年)に史料上で初めて確認される。足利義政や義尚に随伴し、長享元年(1487年)には足利義尚の六角征伐に従軍。明応2年(1493年)の明応の政変では、父・豊時とは異なり、足利義材陣営に属したが、両陣営の観察が目的だったとされる。文亀年間に家督を継ぎ、因幡守護家は但馬惣領家の影響下に置かれる。永正3年(1506年)、石清水八幡宮領の保全を命ぜられ、伯耆守護・山名澄之に対して強い危機感を抱く。永正8年(1511年)には船岡山合戦に参加し、翌年に史料上での姿が途絶える。同年、弟・豊頼により殺害されたとする説がある。











