平安時代前期から中期にかけて活躍した公卿。周防掾や近江権少掾、中務少丞を経て、仁和3年(887年)に従五位下に叙爵される。宇多天皇の時代には兵部少輔や民部少輔を務め、寛平7年(895年)に信濃守に任命され地方官に転じる。その後、常陸介や上野介を歴任する。昌泰4年(901年)に従五位上に昇叙。藤原忠平の側近として延喜年間に京官に復帰し、順調に昇進。延喜23年(923年)には参議に任ぜられ公卿に列し、議政官としても活躍した。朱雀天皇の時代にも昇進を続け、承平7年(937年)に大納言に至る。天慶元年(938年)に辞職を請い、同年に薨去した。源氏長者として淳和奨学両院別当を務め、『後撰和歌集』に和歌が1首収録されている。
















