天武天皇の第一皇子。壬申の乱で父に同行し軍事の全権を担った。持統天皇の治世では太政大臣に就任し、皇族・臣下の最高位として政権を支えた。持統天皇4年(690年)には藤原宮の予定地を視察し、翌年その封戸を2000戸増加された。持統天皇10年(696年)、薨御。墓所は大和国広瀬郡の「三立岡墓」とされているが、キトラ古墳や高松塚古墳の被葬者とする説もある。『万葉集』には柿本人麻呂による壮大な挽歌が収められ、親交があったとされる。政治的な実績や資産から一説には天皇であった可能性も示唆されているが、詳細は不明。
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