平安時代中期の皇族で、官位は三品・兵部卿兼大宰帥。天暦4年(950年)に村上天皇の第一皇子として生まれる。同年に中宮・安子所生の第二皇子・憲平親王が誕生し、東宮の地位を巡る争いが起きるが、外戚の勢力差により憲平親王が立太子された。天徳元年(957年)には二条邸が火災に遭い、応和3年(963年)に元服し三品に叙される。康保4年(967年)、憲平親王の践祚(冷泉天皇)後、兵部卿・太宰帥を歴任。天禄2年(971年)に22歳で薨去し、彼とその外祖父の無念が冷泉天皇の奇行や三条天皇の病に影響したと噂された。











