系譜で辿る日本史

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中御門経任なかのみかどつねただ

中御門経任

経任系中御門家の祖

氏族藤原北家勧修寺流嫡流甘露寺家
生没1233年 - 1297年
位階正二位
官職 権大納言
幕府職

鎌倉時代中期の公卿である中御門経任は、後嵯峨上皇の有力な側近として活躍し、若くして院の伝奏を務めた。蔵人を経ずに右少弁に任命されるなど、異例の昇進を遂げたが、これが上皇の側近偏重人事とされ物議を醸した。実務官僚としての才覚に優れ、弘安の役直前には「敵国降伏」を祈念する勅使として伊勢神宮に派遣された。昇進の過程で多くの騒動を巻き起こし、恩人の後嵯峨法皇崩御後も官職に留まり続けたため、世間から批判を受けた。後に持明院統に仕えるが、経任系の中御門家は3代で没落し、従兄弟の系統が続いた。『とはずがたり』や『増鏡』では彼に対する非難が記されている。

更新
主な祖先

光仁天皇

16親等祖先

円融天皇

11親等祖先

高階貴子

10親等祖先

醍醐天皇

11親等祖先

宇多天皇

12親等祖先

藤原長良

13親等祖先

源頼国

8親等祖先

村上天皇

12親等祖先

中御門経任の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史

主な子孫

清水谷公正

20親等子孫

京極宮家仁親王

17親等子孫

今出川実種

18親等子孫

閑院宮孝仁親王

20親等子孫

梨本宮守脩親王

20親等子孫

伏見宮邦家親王

20親等子孫

宣子女王

20親等子孫

光格天皇

19親等子孫