室町時代中期の武将。永享4年(1432年)、大和永享の乱において兄の命令で畠山持国と共に越智維通の立て籠もる箸尾城を攻め落とすが、帰途に襲撃を受け負傷する。永享12年(1440年)、足利義教の命令で所領を没収される。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の変では、将軍暗殺には関与していなかったが、兄の行動により否応無く追討対象となる。城山城での戦いに敗れた後、息子の千代丸を連れて脱出し投降するが、自害した。享年45。辞世の歌を残した。息子の千代丸は後に赤松時勝と名乗るが早世し、孫の赤松政則の時代に赤松家は再興した。
主な祖先
赤松義雅の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











