播磨赤穂藩主・浅野長友の正室で、志摩鳥羽藩主・内藤忠政の娘。長友に嫁ぎ、寛文7年(1667年)に長男・長矩、寛文10年(1670年)に次男・長広を出産。寛文12年(1672年)に浅野家の江戸藩邸で死去し、赤穂の照満山大蓮寺に葬られる。戒名は戒珠院殿理庵栄智大姉と言う。長友も延宝3年(1675年)に死去したため、長矩と長広は幼少で両親を失った。長矩は後に赤穂事件の発端となる刃傷事件を起こし切腹となる。弟の内藤忠勝も芝増上寺の刃傷事件で永井尚長を殺害し切腹、従兄甥の稲葉正休も大老・堀田正俊を殺害し斬殺された。











