江戸時代前期から中期にかけての旗本。幼名は戌千代で、通称は大学。兄・浅野長矩の養子となり、元禄7年(1694年)に赤穂藩の新田3000石を分与され旗本に列する。元禄14年(1701年)、兄が江戸城で吉良義央に刃傷し切腹となると、連座して所領を召し上げられ、広島浅野宗家にお預けとなる。宝永6年(1709年)、将軍綱吉の死去に伴う大赦で許され、翌年には新たに所領500石を与えられ旗本に復帰。享保9年(1724年)に隠居し、享保19年(1734年)に65歳で死去。高輪泉岳寺に兄や赤穂浪士とともに葬られた。
主な祖先
浅野長広の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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