平安時代中期の公卿である。天徳2年(958年)に従五位下に叙され、翌年侍従に任ぜられる。安和2年(969年)の安和の変により父が昇進し、自身も従三位に叙され公卿となる。円融朝では順調に昇進し、貞元2年(977年)には右近衛大将に任じられる。正暦2年(991年)には正二位・大納言となる。長徳元年(995年)、疱瘡で薨去。死後、娘が三条天皇の皇后となり、右大臣を追贈された。虚栄心が強く気難しい人物と評される一方で、有職故実に通じ、藤原実資から高く評価された。日記『済時記』があったが、現在では逸文のみが残る。
主な祖先
藤原済時の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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