平安時代中期の皇族である敦康親王は、一条天皇の第一皇子として誕生したが、母方の中関白家が没落していたため、強力な後ろ盾を持たなかった。母の出家中の出産が貴族社会で批判を浴びる中、敦康親王は中宮彰子に養育され、道長の政治的配慮を受けながら育った。後に彰子が皇子を産むと、道長の支援は薄れ、立太子の機会を逃した。風雅を好み、学問や芸術に親しんだが、寛仁2年(1018年)に20歳で病没。親しい間柄にあった頼通の家族に娘が引き取られ、後に宮中に入った。敦康親王の非凡さは『大鏡』などに記され、同情を集めた。
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敦康親王の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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