平安時代中期の公卿である平親信は、桓武平氏の一族で、多くの地方官を歴任しながら順調に昇進した。康保4年(967年)、守平親王の東宮雑色となり、その後も円融天皇の即位に伴い活躍。天延3年(975年)に従五位下・筑後権守に叙任され、のちに越前守や修理大夫としても功績を積む。長保3年(1001年)には公卿に列し、地方官としても山城守や大宰大弐を務めた。長和4年(1015年)参議に任じられるが、翌年に致仕。晩年は出家し、寛仁元年(1017年)に薨去。情誼に厚く筋を通す人物と評され、藤原行成と交流があり、尊重寺を建立した。日記『親信卿記』が残る。
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平親信の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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