鎌倉時代後期の公卿であり、官位は従一位・右大臣にまで昇進。侍従や左近衛少将としての経験を積み、延慶元年(1308年)に従三位に叙せられた。延慶3年(1310年)には参議、正和2年(1312年)には正二位、文保2年(1318年)には権大納言となった。嘉暦元年(1326年)、妹の子である量仁親王が皇太子となり、大納言に任命された。元徳3年(1331年)、光厳天皇の即位に伴い内大臣、正慶元年(1332年)には右大臣に就任。正慶2年(1333年)、鎌倉幕府滅亡直前に出家し、法名は空勝。孫の代で大宮家は一時断絶したが、女系を通じて名家に血統が引き継がれた。

















