平安時代初期の貴族である橘長谷麻呂は、大学寮で学び、『史記』や『漢書』を深く読み込んだ知識人。弘仁5年(814年)、皇太子大伴親王の求めに応じて詩を詠んだことが評価され、従五位下に昇叙。その後も右少弁、従五位上、正五位下と急速に昇進し、淳和天皇の即位後には蔵人頭に任命されるなど重用された。弘仁14年(823年)には左中弁を兼任したが、病に倒れ翌年の天長元年(824年)に46歳で没する。穏やかで優しい性格であり、法を重んじつつも酒を楽しむ一面もあった。
主な祖先
橘長谷麻呂の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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