平安時代初期から前期の貴族で、官位は従四位下・右京大夫。承和8年(841年)に従五位下となり、民部少輔や右衛門権佐を務める。翌年、左京采女町の一部を賜与される。刑部少輔、兵部少輔、弾正少弼を経て、承和13年(846年)には備前守として地方官に転じるが、翌年京官に復帰。仁明朝末から文徳朝にかけて弁官を務め、仁寿3年(853年)には蔵人頭兼左中弁に昇進。嘉祥2年(849年)には渤海使の帰国に伴い、勅書と太政官牒を伝達する任務を小野篁らと共に担当。斉衡3年(856年)に病気で蔵人頭を辞任し、翌年越前守に任ぜられ地方官に再び転じる。清和朝では貞観元年(859年)に右京大夫として京官に復帰。
主な祖先
橘海雄の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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