平安時代後期の公卿で、藤原北家勧修寺流に属する。天承元年(1131年)に蔵人となり、鳥羽院の院司・受領として活動。久安6年(1150年)に五位蔵人、仁平2年(1152年)に右衛門権佐、久寿元年(1154年)に左少弁に任じられた。保元元年(1156年)に顕時と改名し、後白河天皇のもとで正四位下右大弁に昇進、保元3年(1158年)に左大弁蔵人頭に任命される。平治元年(1159年)に参議となり、翌年には権中納言、応保2年(1162年)には正三位に叙され大宰権帥を兼務。平家物語では平清盛の恩人として記され、清盛の子・行隆の出仕を助けた。仁安2年(1167年)に従二位民部卿に任じられ、間もなく没した。
主な祖先
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