平安時代中期の女性。左大臣藤原顕光の長女として生まれ、一条天皇の女御となる。長徳2年(996年)に天皇に入内し、女御宣下を受けた。長徳3年(997年)に懐妊の兆候があったが、妊娠は成功せず、その後も内裏に戻ることはあったが、実家である堀河院で過ごすことが多かった。一条天皇の崩御後、源頼定と親密になり、父に発覚して出家させられるも関係は続き、二女をもうける。寛仁2年(1018年)に堀河院に戻り、堀河院の継承権を主張し、上東門院彰子の支持を得て権利を確保した。その後の詳細は不明だが、娘は後朱雀天皇の中宮に仕えた。











