戦国時代の公卿である久我通言は、久我家の17代当主として活躍した。長享3年(1489年)に叙爵し、侍従や左近衛少将を経て文亀2年(1502年)に従三位となり公卿に列した。その後、永正3年(1506年)に権中納言、永正11年(1514年)に権大納言、大永元年(1521年)に右近衛大将に昇進。大永3年(1523年)には内大臣に任じられた。享禄元年(1528年)には右大臣となり、天文4年(1535年)に従一位に至るが、翌年に父の死を受けて出家した。子の邦通が早世した後、近衛家から晴通を養子に迎え、家督を継がせた。
主な祖先
久我通言の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











