平安時代後期から末期にかけて活躍した貴族であり歌人でもある。蹴鞠の名手として名高く、幼少期から鞠を習い「蹴聖」と称される藤原成通に教えを受けた。白河院政期に従五位下に叙爵され、山城守に任ぜられたが、鳥羽院政が始まると官職を辞し、長く散位であった。後白河法皇に蹴鞠の才能を認められ、院近臣に加えられた。保元の乱では東山に籠居するが、後に豊後守に任じられた。歌人としても活動し、『千載和歌集』などに28首が入集している。晩年は病悩により出家し、75歳で薨去した。
主な祖先
難波頼輔の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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