平安時代後期の公卿である藤原家忠は、摂関家の出身として順調に昇進し、左大臣に至る。白河天皇の即位に伴い従五位下に叙せられ、侍従や右近衛少将を歴任しながら公卿に列する。承徳3年(1099年)、異母兄・藤原師通の急死後、摂関候補とされるも、父の意向で忠実の補佐に回る。家忠は大納言や右近衛大将を兼務し、鳥羽院政期には従一位・左大臣に昇進する。保延2年(1136年)、病を理由に出家し、同年に薨じた。享年75。『大鏡』の増補部分の執筆者としても名前が挙がる。
主な祖先
藤原家忠の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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