平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿。9歳で叙爵し、侍従や右近衛権少将を歴任。後白河上皇の妃の立后に際して皇太后宮権亮に任命された。治承三年の政変後も官位を保ち、公卿に列する。法住寺合戦で捕縛されるも命拾いし、後白河院の信任を得る。政界で昇進し、建久2年(1191年)には右近衛大将を兼任。実務能力には批判があったが、県召除目での見事な作法が称賛された。晩年は後鳥羽上皇の後見役として活躍し、娘の麗子を土御門天皇の中宮に立てた。承久3年(1221年)の承久の乱には反対し、嘉禄元年(1225年)に亡くなった。
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