鎌倉時代前期の公卿であり歌人でもある。源通親の三男で、後鳥羽天皇の乳母・藤原範子の子として嫡男扱いを受ける。正治3年(1201年)に公卿となり、兄を越えて昇進し、建保7年(1219年)には内大臣に任じられる。承久の乱では北条義時追討に関与したため、鎌倉幕府から籠居を命じられるが、その後も後鳥羽上皇と連絡を取っていたとされる。寛元4年(1246年)には従一位太政大臣に昇進。『新古今和歌集』に歌が収録されるなど、当代を代表する歌人であり、琵琶にも優れる。晩年、久我家の家領を巡る争いが起こり、一時は没落寸前となるが、鎌倉幕府の保障を受けた所領を基に再興が図られた。
主な祖先
久我通光の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















