享保16年(1731年)、増子女王の御側付として江戸に入る。享保18年(1733年)に正室の増子が死去後、徳川家重の側室として寵愛を受ける。元文2年(1737年)には嫡男・竹千代(後の徳川家治)を出産。延享2年(1745年)、家重の将軍宣下に伴い従三位に叙され、大奥に入る。しかし、家重は別の側室を寵愛し、酒に溺れるようになる。至心院が注意するも関係は悪化し、一時的に牢に閉じ込められるが、吉宗の介入で解放される。延享5年(1748年)に死去し、寛永寺山内の福聚院に葬られる。宝暦13年(1763年)、従一位を追贈された。
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