江戸幕府第10代将軍として宝暦10年(1760年)から天明6年(1786年)まで在任した。祖父である吉宗から直接教育を受け、文武に秀でた。将軍職を継ぐと、田沼意次を重用し、政治を任せた一方で、自身は趣味に没頭することが多かった。将棋や絵画に優れ、その作品を多くの家臣に贈った。晩年には世継ぎ問題が発生し、最終的に一橋家から養子を迎えることとなった。天明6年に死去し、死因は脚気による心不全とされるが、毒殺説も存在する。墓所は台東区の寛永寺。家治の時代には、田沼の重商主義政策が推進され、評価が分かれるが、家治の後援があったことがその背景にある。
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